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2011年3月19日 (土)

東北地方太平洋沖地震発生直後

謹んで被災地の皆様にお見舞いを申し上げます。また、被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします。

死者・行方不明者が2万人以上となる甚大な震災となりました。3月11日の午後2時半頃、地震発生当初は仕事中でした。部長と仕事について立ち話していた最中にぐらっと少しの揺れ、その後大きな横揺れがあり、すぐさま退路を確保するため、裏扉に急ぎました。そこで激しい揺れがあり、外を見ると電線が振り乱れている状態・・・。さらに建物の外壁タイルがビシビシ落ちてきたので、これは建物崩れるのでは・・・と腰が抜けそうになりました。

職場のある埼玉県南部で震度6弱。これは震源地が関東周辺だろうと思っていましたが、まさか東北沖だとはこの時は思いもしませんでした。地震が落ち着いてからは職員の確認と、まずは火の元を確認の上で1階に避難するように指示しました。5階まで一気に駆け上がり現状確認。揺れで防火扉が閉まる中、逃げ遅れなどを気にしながら声を掛け、とにかく下に降りるように指示しました。これは揺れが建物の上のほうが大きいことと、いざとなったらすぐ避難できるように考えたためです。今回津波被害を受けたところでも、同じようにされた方は居たのではないかと思います。地震=津波という考えがあれば、丈夫な建物では下に降りないほうが良かったケースもあったのではないかと思うと、やるせない気持ちになります・・・。

その後、事務室で点呼をし、急遽対策会議を開催。でも、その最中にも大きな余震があったりしていましたが、その頃に震源地が東北沖でマグニチュード8.8であることを知りました(後日M9.0に修正)。また、同時に交通機関が完全に麻痺していることも徐々に分かってきました。結局、あの晩は職場に10人程度が泊まる状態。私は近場の方を車で送っていくことを決め、6人を西東京方面に送っていきました。東京方面は車で大渋滞でした。結局走行距離は30km程度ですが、20時半に出発し帰ってこれたのは翌日の2時でした。途中、信号機が停電していたり、完全に交通マヒ状態となっていましたし、夜中1時半くらいに東京方面に進んでいたところ、おそらく東京からであろう帰宅難民の方々が歩いて所沢~志木方面に進んでいました。その数1000人以上はいたんではないかと思います。

その後、事務所に戻り、一時的に帰宅して2時間程度休み、再び出勤。5時から12時まで職場の点検をしてから再度帰宅してゆっくり休みました。いろいろと大変でしたが、命あるだけありがたいと思っていました。被災地のことを思えば、どんなことも我慢できるように思います。1週間が経ち、うちの職場もだいぶ落ち着いてきている状況ですし、今後は被災地に対して一般人ができることも増えてくると思います。できるだけの支援をしたいと思っています。

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